y>何も助けちゃいないじゃないかw ともかく、頑張って前向きに行ってみるよb


今週が終われば冬休みです。
北海道の冬休みは基本的に長いのですが、高専では本州基準なので2週間とちょっとしかありません。
最後の1週間、何とか耐え抜かなければ…


心身共に疲れてます。体力がついていかないことが精神的にも悩みの種となってます。
自分のしたい事が分からないんですよね。
何のためにこの瞬間を過ごしているのか。何のために生きているのか。
一人一人が何らかの力を持っている。これはかけがえのない事実。
極端な例をあげれば、エジソンが生まれてなかったら、そして発明家になろうとしなかったらこの世はどうなったか。
そしてエジソンを産んだ、そして育て、発明家へと導いた人が一人でも欠けていればこの世とは違うものとなっていた。
ということはつまり、この世に存在するすべての人間は後の世に繋がるということになる。
これを忘れてしまったら生きることは出来ない。
自分が誰かに繋がっていて、自分が居なくなったら誰かが困る、それを忘れては死ぬ他に道は無くなってしまう。
だから私は生きている。辛くとも、苦しくとも生きている。
私より辛い人も沢山居るだろう。その人達だって頑張って生きている。
死にたくなっても、死ぬわけにはいかない。
自分が存在することで誰かの人生を変えることにも成り、そして後の世を作ることにもなる。
これと言った生きる目的は考える必要はないはず。生きているだけで意味がある。


・・・でも考えちゃうのが人間なんですよね。
自分が何をすべきなのか。勉強とかそんなちっぽけな範囲じゃなく。
生きていて、これから誰の為に動いていかなければならないのか。
例えば、人に僅かの知識を与えることでその人の人生は軽く変わってしまう。
例えそれがゲームの話とか、マンガの話とか、一見どうでもいい話でも、それは何らかの影響を与える。
その話が原因でその人がゲームをやって何かまた新しい知識を取り入れるのかもしれないし、
逆にそのせいで時間を失って良い事が起きない可能性だってある。
人間は他人に与える影響1つ1つを重く考えるべきじゃないのか?
・・・でも実際は出来ない。1つ1つを考えていたら1日寝ずに考えたって時間が足りない。
だからと言って私は考えるのをやめる、という結論に至らない。
そうしたら人間として良くないと思う。
一般的な言葉で言うなら、「人のことを考える」ということ。
つまり、考えるのをやめてしまっては人のことを考えられない人間となってしまうことになる。
それは私は避けるべきであると思う。避けなければならない。
生きていて、大事なことはたくさんある。
死んでは何も変わらないどころか逆に世は衰えてしまう。
生きていて、それだけで何かの意味がある。それは不変の事実。
例えそれが悪い事につながろうと、それは世の記憶となり、データとなり、次につながる。
人間がすることに悪い事など2つしかない。それは自らを殺すことと他人を殺すこと。
肉体的に殺す事は当然として、精神的に壊してしまうのも人間としてやってはいけないことだ。
それ以外は何をやったって問題ない。
でも、嘘をつくことだって精神的に傷つけることになる。
突き詰めていけば行動の1つ1つ、一般的な「悪い事」はすべて「殺す・傷つける」のどちらかになる。
それをしなければ、生きる意味がある。
「生きること」これが最も大事で意味のある行動だと思う。


私は生きなければならない。
私がこうやって生きるという意味を考えた以上、例えそれが妄想であろうとも私は生きる。
ここで死んだら自分の考えを否定してしまうことになる。
それだけはやってはいけない。死んだ瞬間、自分の考えを否定してしまったら後悔するにも出来ない。
何とか、短いようで長い残りの時間を耐え抜かなければ。
もしかしたらあと1日で死ぬかも知れないし、100まで生きるかも知れない。
でも、いつでもその死ぬ時間を自分で決めはしない。
死なざるを得ない、その時まで生きる。自分の力で生きていく。